趣味の世界は楽しく心地よく!これは当然ですが、それ以外の日常でも、できる限りストレスなく気分よくいきたいのですが、なかなかそうもいきませんね。はじめましての方もまた来てくれた方もようこそ!けちろうです♪
雑な仕事って…
雑な仕事というのは非難に値する。職場でも家庭でも遊んでいるときでも、これに出くわすと、大なり小なり腹が立つ。身に覚えがありますよね?
職場の同僚のやっつけ仕事、フォローするのは僕。余計な時間を使わせるな〜!とか。
食器洗いを依頼されたパパさん、ちゃちゃっと済ましたのだが、きちんと洗えてないじゃないとママさんからクレーム!とか。
飲食店やレジャー施設で受けた雑な接客なんて、楽しむ気で来ただけに後味の悪い苛立ちが残る。
これと対局にあるのが、丁寧な仕事ぶりに接したとき。気持ちほっこり、口に出さずともウンウンとうなずきたくなる。
雑と丁寧。
雑な仕事に無くて丁寧な仕事にあるものって何でしょうね?
そこに心はあるかい?
我が家にはティーネイジャー手前くらいの息子が2人おります。家の手伝いを頼むと、その時の気分で、ちゃんとやってくれるときと、かなり雑なときがあります(例えばハンカチを畳んでもらう場合、二度と再現不能な特殊な形だったり…ピシッと正方形であることは稀)w
まあ、子どものやることなので大目にみているんですが、明らかにひどい仕上がりのときは「雑すぎるよ!もっと丁寧にやり直ーし!」を告げるわけです。
でも、ふと思ったのです。どこまでが雑でどこからが丁寧なのかって、子どもたちの中で基準がないのでは?
だからまずは、ここまでこんなふうにやってほしいと具体的に伝えたうえで、あとは子どもたち自身がちゃんとやろうと思ったのか、面倒だから手を抜こうと考えたか、それをアウトプットで確認するようにしました。
その上で雑なときは、やり方や基準を知らないのではなく、イヤイヤやらされてるからってことですよね。
結局、すべての仕事(アウトプット)って、そこに心があるかないかだと思います。息子たちに「雑だ、丁寧に!」といくら言っても、何かことばが素通りしている気がしていたので、「人のために何かをやるとき、そこに心があるかないかを常に自問して」と言い換えてみました。分かったのかどうか、生返事でしたがw。
心配り、気遣いなどと言いますが、目の前の人はもちろん、見えない人の顔を思い浮かべてことにあたる。すべてのアウトプットにこれができればと思う一方、大人の自分がちゃんとできてないのだから、子どもにはなおさらだよなぁと、自転車のペダルをコギコギしながら思ったのでした。
今一度、自問自答してみます。
「そのアウトプットに、心はあるかい?」
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